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燃えよ剣 分倍河原

東京都府中市の整体(カイロプラクティック)院・府中市役所西整体院の日常を書いています。
2013/05/02(木)
以前、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』には

 ・くらやみ祭が書かれていてる
 ・府中近辺が舞台の場面が多い

と書きました↓。
siyakusyonisiseitai.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

小説では、
土方歳三が沖田総司を連れて決闘する場面があります。

 ・分倍河原
 ・月と泥

この2章です。

決闘の場所は「分倍橋」、ここをたどります。
分倍橋交差点 信号

調べてみると『燃えよ剣』が書かれたのは約50年前。
現在とは様子が違ってますが、参考にしてください。
(江戸時代と50年前でも違ってますが)

周辺の図
分梅橋近辺地図(新田川)
 ・右下の茶色い四角が西府農協(JAマインズ)
 ・赤矢印が「分倍橋」付近(分梅橋交差点)

蛇足ながら、地図をよくみると上が南です。

西府農協(JAマインズ)横を、上下(南北)にまっすぐ通ってるのが鎌倉街道。
「分倍橋」のある方が鎌倉街道となっています。

案内図の「新田川緑道」が小説の「川」になりますかね。

「新田川」とは――この辺りに流れていた用水路のはず。
今では、ほとんどの部分が暗渠化され、その上が「緑道」です。

左右に走っているのが、上記の鎌倉街道
分倍橋交差点全体

分梅橋拡大

今でも川は流れています
分倍橋と川


大きな地図で見る

(以下、青字は小説からの引用)

甲州街道を、いまの西府農協のあたりまできたとき、
「おい、右に折れよう」と、あぜ道に入った。

JAマインズ(西府農協)
西府農協は現在、JAマインズになっています。
江戸時代末期、甲州街道はこのあたりを通っていたのでしょうか。

夜露にびっしょり濡れながら、草を踏んで南へ南へとさがり、
ちょうど十五、六丁も歩いたあたりに野の中に墓地がある。
いまでもあるが、野寺の名は正光院(しょうこういん)。

正光院
現在の鎌倉街道と中央高速道が交差するあたりです。
ここで寺男に分倍橋へ下見に行かせ、土方歳三が地面に図を描きながら、
沖田総司に作戦を説明します。

墓地は草深い。
石塔、卒塔婆(そとば)のあいだに歳三はすわりこみ、沖田にもすわらせた。
「総司、提灯に灯(ひ)を入れろ」
地面を照らさせた。
歳三はその地面を古箸(ふるばし)で引っ掻(か)きながら、器用に地図を描いた。
「これが分倍橋付近だ。見えるか」
地図には、道がおそろしく入り組んでいる。


ここから「分倍橋」へ向かいます(方角は東南)。

途中、月が雲に隠れると田んぼに落ちて泥だらけになったり、
桑畑で二人揃って……

―歳三と沖田がいま這い進んでいるのは今日(こんにち)でいえば
分梅町三丁目のまんなかぐらいだろう。まだ分倍橋まで、三、四丁はある。

分梅町三丁目
小説では、分橋・分町です。間違いではありません。


大きな地図で見る

やがて月光の下に分倍橋のたもとの欅(けやき)の巨樹がみえてきたとき
分倍橋と欅(けやき)
正面奥が一番大きな欅のようでした。
実は「府中市の木」は欅。この辺りに数本あります。

写真は以上。

ここで決闘をした後、先ほどの正光院に戻り、
血と泥で汚れた着物を着替えて、二人は別々に江戸へ帰ります。
(沖田総司はあまり汚れてませんでしたが)

『燃えよ剣』は、夏の「新潮文庫の100冊」にも選ばれたことがありますね。

何度か読みましたが、この2章の感想を簡単に。

 ・七里研之助との因縁が決定的に
 ・土方歳三の軍略家としての才能
 ・沖田総司の天才剣士の片鱗
 ・後に新撰組の中核をなす2人の掛け合い

このあたりが書かれていて、小説内でもこの後に続く重要な場面だと思いました。

『燃えよ剣』を好きな方は、多いと思います。
興味があれば、行ってみてはいかがでしょうか。

新潮文庫だけではないようです。

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