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203高地 その2

東京都府中市の整体(カイロプラクティック)院・府中市役所西整体院の日常を書いています。
2013/04/05(金)
203高地の写真をいくつか

203高地入り口の案内板
203高地入り口説明
ここから車で頂上まで乗せてくれるそうですが、
料金はかなり高いようです。

案内板すぐ横の道は整備されています。
203高地山道1

急斜面もあるので、歩く場合はご注意を(上記とは違う道)。
203高地斜面

5ヶ国語で説明
203高地案内板

280ミリメートル榴弾砲
280ミリメートル砲

この説明は3ヶ国語
280ミリメートル砲説明
日本式280ミリメートル榴弾砲

二〇三高地争奪戦で、日本軍は口径の異なる大砲を六十台余り使用して、
高地に対して狂気じみた無差別爆撃を加え、全部で一万一千発以上の
砲弾を撃つたが、そのうちに、280ミリメートル榴弾砲砲弾が2254発あつた
当該大砲は本体の重さが10.753トン、砲弾の重さが217キロで、
射程が7800メートルだった。

(原文まま)

石でできた碑
280ミリメートル砲碑
砲弾型がこってますね。

旅順湾を向いてるそうです(直線距離で約4km)
280ミリメートル砲と旅順湾
双眼鏡を持って行ったんですが使えませんでした。

(「準備がいいね!」と言われるハズが笑われました)

【280ミリメートル榴弾砲 補足】

『坂の上の雲』には

  ・二十八サンチ榴弾砲
  ・東京の参謀本部次長長岡外史は「じつに同砲は、
   旅順陥落の偉勲者の一つとして永く記念せねばならぬと書いている。」


と書いてあります。

この砲について『坂の上の雲』ではページを割いて説明があります。
詳しく知りたい方は『坂の上の雲』をお読みください。

本来は要塞に恒久的に据えつける大砲。

それに台座にのっていて、旋回できた(砲の向きを変えられた)ようです。

日本国内に配備されていたのを、分解して運び、旅順要塞攻撃に使用ました。
(奉天の戦いにも使用)

旅順要塞攻撃と203高地占領後、また分解して203高地に
据えつけたのではなく、ここから旅順湾を観測して砲撃したようです。

つまり、実際はここから旅順湾(の軍艦)を砲撃したのではなく、
観光用に置いてある感じでしょうか。

着弾を観測する場所(重砲観測所)と280ミリメートル砲
280ミリメートル砲と観測所

『坂の上の雲』より

観測所が、設置された。
―そこから旅順港はみえるか。
という、児玉の有名なことばが、
電線を通じて西南角の頂上にいる観測将校に伝わったのは、このときであった。
―見えます。まる見えであります。
という旨の観測将校の返事がきこえたとき児玉は軍艦砲撃を決意した。

(文春文庫)

当時は離れた場所にあり、連携して
旅順湾に停泊していた旅順艦隊を攻撃しました。

旅順艦隊を撃滅したことにより、日本海海戦の勝利、ひいては日露戦争での
日本の勝利に大きく貢献しました。

現在、この二つが並んで鎮座しているのは、感慨深いものが……

重砲観測所説明
重砲観測所説明
重砲兵用探り所

1904年12月、日本軍は二〇三高地を占領した後すぐ、
そこに重砲兵用探り所を設置したことにより、重砲を指揮して
旅順口港へ猛烈な攻撃を行い、港に停泊したロシア軍艦を殆ど
日本軍の砲火に打ち壊された。重砲兵用探り所は日本軍が
ロシア軍海軍の力に打撃を加え、ロシア軍陸上防御線を粉砕して
最終的にロシア軍を打ち負かしたことにおいて、重要な役割を果たした。

(原文まま)

重砲観測所説明碑
観測所説明碑
石碑だけは新しく思いました。

山道を登りながら、こう考えた。
歴史的事実を踏まえて……

今から100年以上前、この203高地を巡る攻防があり、
日露両軍合わせて数万人の死傷者が出ました。

その戦闘は、乃木希典将軍の漢詩に

鐵血覆山山形改 (鐵血山を覆うて山形改まる)

とあるように、

どれほど多くの武器・弾薬を使い、
どれほど多くの血が流されたかは、山を覆うほどで

また、山の形が変わるくらい凄絶な戦いだったのでしょう。

ここを占領した時、日本軍の喜びようは、
どれ程のものだったのだろうか……

そして、山頂の爾靈山塔では、ちゃんと黙祷を捧げてきました。
萬人齊仰爾靈山(萬人齊(ひと)しく仰ぐ爾霊山)

その3に続く

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