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始皇帝と大兵馬俑(兵馬俑展) その2

東京都府中市の整体(カイロプラクティック)院・府中市役所西整体院の日常を書いています。
2015/12/18(金)
前回の続き
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兵馬俑展 キングダム

そもそも、兵馬俑を含む始皇帝陵(お墓)は、
記録には残っていても所在地などが不明で、
なかば伝説となっていたはず。
ところが、1974年に井戸を掘っていた
農民により偶然発見されました。

世界的ニュースになり、20世紀考古学で
最大級の発見といわれました。
(ほかにツタンカーメン王墓の発見など)

伝説だと思われていたことが史実だったとは、
まるでトロイの木馬の話のよう。

この話は小学生のころの兵馬俑展で知り、
「すげ~」と思いました。
今回も解説映像で、発見されたときの
説明がありました。

約30年も経てば、新たな発見があったり
研究も進むだろうと、今回を楽しみにしていました。

チラシのキャッチコピー「永遠」を守る軍団参上。
それに兵馬俑はすべて1級文物
1級文物とは、日本でいうと国宝でしょうか。

展示構成は

第Ⅰ章 秦王朝の軌跡――周辺の小国から巨大帝国へ――

 Ⅰ‐1 西周王朝を継ぐ
 Ⅰ‐2 他国との競合
 Ⅰ‐3 秦文化の洗練

第Ⅱ章 始皇帝の実像――発掘された帝都と陵園

 Ⅱ‐1 統一の事跡
 Ⅱ‐2 帝都のにぎわい
 Ⅱ‐3 宮殿建築の片鱗

第Ⅲ章 始皇帝が夢見た「永遠の世界」――兵馬俑と銅馬車

 Ⅲ‐1 小さな兵馬俑
 Ⅲ‐2 兵馬俑――「永遠」を守る軍団
 Ⅲ‐3 銅馬車――始皇帝の魂を乗せて

リストには出品数124点。

見てのとおり、中国初の統一王朝「秦」の成り立ち、
始皇帝と秦のこと、そして、兵馬俑の展示でした。

始皇帝が中国を統一したのは、紀元前221年。
最盛期は前213年とのこと。

小説『項羽と劉邦』より――
それまでこの大陸は、諸方に王国が割拠し、
つまりは分裂している状態こそ常態であるとされてきた。
統一こそ異常であったといいていい。


その頃、日本は弥生時代。
エジプトではプトレマイオス朝エジプト王国があり、
ヨーロッパでは共和制ローマの時代でした。

第Ⅰ章、最初のほうは「玉(ぎょく)」が多かったです。

「玉」は光を通すそうで、西周の玉器は
受け継ぐべき権威の象徴とのこと。

以前鑑賞した、国立故宮博物館展でも
「玉」がありました。
展示品に書かれている文字は、
漢字の原型のように思います。

紀元前250年に天下の半分が秦の領土になり、
各国の文化を積極的に採り入れた結果、
普遍性と個性を兼ね備えた文化を内部に
形成させていくこととなったとのこと。

第Ⅱ章、当時の生活ぶりがみれます。
この時代、秦には瓦や水道管があったのですね。

第Ⅲ章、いよいよ兵馬俑。
展示場所に入ると、全体を上から
見下ろすかたち。

最初は小型で古い兵馬俑がありました。

それぞれの兵馬俑の周りを、ぐるりと鑑賞
できる展示でした。
等身大といっても、190センチはありそうです。
『将軍俑』は10体ほどしかないそうで貴重なのでは。

『1号銅馬車』と『2号銅馬車』は複製とのことですが、
精巧に作られていました。
始皇帝が巡幸のときに乗った「おんりょうしゃ」でしょうか。
(「おん」は車編に温、「りょう」は車編に涼)
だとすると『項羽と劉邦』にでていますね。

展示されている兵馬俑は、土偶のように色は付いていません。
しかし、色が付いているものも発掘されているようでした。

なお、始皇帝の体も陵墓に安置されているようですが、
発掘して劣化してしまうのを防ぐために手をつけていないとのこと。
技術の進歩が待たれます。

「兵馬俑」自体は撮影禁止。
しかし、最後に撮影コーナーがありました。
兵馬俑展 撮影コーナー

兵馬俑展 2015 撮影コーナー
顔はすべて違います。

日本に居ながら、これほどのものを
鑑賞できたので、とてもよかったです。

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